劇団鹿殺し「パレード旅団」感想

2017年冬の舞台で、行きそびれてDVD買うかな…と悩みに悩んでもう3年ですね。買いました。

世界を変えるために少年は言う。「復讐、しませんか?」
世界を変えるために父は言う。「今日かぎり、父さんは父さんをやめようと思う。」
ふたつの旅が、始まる。

https://youtu.be/LVGDvgnfp0I

ネタバレになるからあんまり内容について書けないのですが、初めて観る感じの演出で面白かったです。観る前にあんまあらすじ読まない方がいいと思う。

鹿殺しは「俺の骨をあげる」を観に行ったほか銀牙やリボステなど.5舞台の演出作も観たのですがとにかく骨太で小劇場の泥臭い感じがたまらん!という魅力がある劇団やと思っています。.5やとアニメのオープニング曲をそのまま舞台のオープニングにも持ってくる感じとか今どきコテコテでカッコいいなと思う。

「家」がテーマなんかなと個人的には思ってました。家という言葉は「イエ」という読み方のほか「ウチ」とも読めて、人が長期的に居住する建築物という意味はもちろん、舞台の中ではいち個人の「居場所」や外と内、世間と自分とで分けた中の「自分」のように扱われていると感じました。

特に小劇場でよくある(と勝手に思っている)、演出家の言いたいことを役者、つまりフィクションの中のキャラクターに言わせる手法、基本怠惰だと感じるのですが言いたいことの普遍性であったり演出の自然な感じであったりも相まって「ま、いっか良いこと言ってるし」みたいになりました。

「私は何を演じているのかしら」

Twitterでも度々言ってるシェイクスピアの「人生は動き回る影帽子〜」の引用小劇場で使われすぎ問題ですが、そういったテーマでありながら引用されなくて、逆にシェイクスピアの引用が無い!になりました。

役者を好きになると、全然そういうテーマじゃない舞台でもあの引用のことを思います。役者ってどうやって自我保ってんねやろね。

上京するか悩んでて、インターネットなどで日夜上京した人、するか悩んでいる人の書いた文章を読んでいるんですが「無理だったら地元に帰ったらいい、と思えるから頑張れる」という文章を見かけて、「家」という概念は物理的なものというよりかは精神的な意味として人の心に存在するのではないかと思います。

普段「家」に集まって住む家族が危機を前に崩壊して、初めて「家」に集まった学校に居場所ない中学生達が危機を前に家族になる構図、今となっては割と違和感なく観られるな〜というか、そういう時代に生まれられて幸せなことですね。