人が羨ましい話

私は今3人でルームシェアをしている。私以外は大学院生である。私は入学したての学部の頃から院に行く選択肢も無ければ作家になる選択肢も無かった。特に卒業してからやりたいことも無かった。「じゃあなんで美大に?」と思う人もいるかもしれないが、私としてはネームバリューを求めて特に興味もない学問分野の学部に入学し4年間を過ごして就職する人の気持ちがまったく分からんので平行線だと思う。

院に行くことを選んだ人、もしくは学部を卒業してそのまま就職することなく作家を選んだ人、そういった人が時たま羨ましくなる。家や個人の事情は人それぞれなので金が無かろうが親から反対されようが院に行こうと思えば行けるだろうし作家になろうと思えばなれる。

私が羨ましいのはものを作る上での自分の手先の感覚や、自分自身の「気持ちいい」感覚を信じられる事である。私は大学でほとんどものを作らなかった。それでも4年弱週4予備校に通い大学もなんとか卒業したので人よりはそういう感覚があるとは思うが、自分自身の好きという気持ち、気持ちいいという感覚をいつも信用出来ずにいる。どこかで「お前の作るもんなんか」と誰かが言っている気がする。

私は特別貧乏な家に生まれたわけではない。両親どちらも正社員共働きで役職もあるので世帯年収で言えば平均より高い。兄弟3人共大学まで行かせてもらっているし。お金のことは上を見るとキリがない。(ちなみに下を見てもキリがない)

ただ、少し複雑な家に生まれて複雑な思春期を過ごした事、自分の生来の繊細な心の機微、手先や他人への不器用さなどが起因して人より少し脆弱な人間になったことが、たまに心に重くのしかかる。ふつうの愛され方をされていたら、とか、昔から好きな服を着せてもらえていたら、とか、美術をやることや本が好きなことを肯定してもらえてたら、とかそういうことを思う。もしものことも言いだすとキリがなく、多分気質として面倒くさがりの私は「ふつう」の家に生まれていたら美術や本は好きじゃなかったと思う。人にそこそこに優しくも出来なかったと思う。他人に興味ないから。

高校の時、奇妙なことに所謂スクールカーストの高い女の子達とずっと一緒にいて思ったのは、自分が思うキラキラで理想的な生活を営んでいそうな人も、自分とは違う悩みを持って、自分と同じように深く悩んでるということだった。「彼氏にセックスを強要されて拒まない」とか「毎週月曜昼ごはんを食べているそんなに仲良くない部活のグループから抜けたい」とか、自分だったら悩まない事で泣くほど本気で悩んでいる彼女たちを見て、色々な切迫した現実があるんだなと感じた。

自分がふつうの家に生まれたかった、と思うのと同じように「もっと顔が綺麗だったら」とか「男の子に生まれられていたら」とかまあどうしようもない事で、それを生まれながらに持っている人に対して激しく嫉妬する経験は誰にでもあると思う。私は他人に強い感情を持つのが苦手なので、嫉妬のような強い執着の気持ちをどう扱っていいのか分からないけど他人は他人、私は私と思えるくらい自分の目に見えるものや手に触れるものを大切に出来たらなあと思う。