わたしの家は母親も父親も再婚である。弟が2人いるが片方は父の連れ子だ。今時そういう家も多いと思う。わたしが小学2年生に上がる前に再婚をした。

自分の血の繋がった父親のことをあまり覚えてはいないのだが、父親が残してくれたものが未だに田舎の借家に残っていて、自由に出入りが出来るのでよく行く。父親の部屋には天井まである背の高い本棚にびっしり本が並べてあり、ジオラマ鉄道模型の空箱が大量に散乱している。母親はあまり父親について話さないが、とても優しい人だったとよく言っている。昔そこにある本を沢山読んだが、あまり本を読まなくなった現在もこの部屋に入ると自分は確実に父親の血をひいているのだと感じる。

現在の義父の家に引っ越した時のことをよく覚えている。もうすぐ保育所を卒業する頃だった。ぎこちない5人で近くの量販店に食器を買いに行った。キャラクター雑貨のコーナーで子ども3人でお揃いにするから好きな食器を選べと言われた。義父の連れていた子は迷わず当時放送されていた戦隊モノの茶碗を取っていた。

わたしの弟は、わたしのお下がりばかり使わされていた関係でハローキティが好きだった。大きな音が苦手で、その歳の男の子が熱狂する戦隊モノが苦手だった。おとなしい弟が控えめに、しかし恥じらう素振りもなく、ハローキティの茶碗を取った時、父親が「男のくせに気持ち悪い」と言った。はっきりと言った。わたしも弟も生きていてそんな事を言われたことが無かったから言っている意味がよく分からなかった。当時本当によく分からなかったからかこの出来事が非常に心に残っている。この意味が分かるようになるのは結局小学生になってからしばらく経った後である。弟が選んだハローキティの茶碗はわたしのものになった。わたしはシックな感じがかっこいいと思っていたのでセーラームーン仮面ライダーが好きだった。(趣旨とは逸れるが感性にオタクの片鱗がありありと伺える)

未だにこの話を父親が弟の目の前で茶化すことがある。弟は本当に嫌がるし、潔癖な、自分に自信のない弟は高校に上がるまで衣服や持ち物に少しでもピンク色が入ることを異様に嫌った。「きしょいわ、その服」と言う。あの時父親が幼い彼に言ったように。ちょっとした呪縛だと思う。今度ステューシーのピンクの帽子をあげようかなと思う。彼はわたしに似て肌の色が背後が透けるように色が白いので本当はピンクや青みの紫が似合うのだ。手足が長く背が高いので細身で中性的な服が似合うのだ。弟はスポーツブランドの真っ黒な服を着ている。

美大に入ってすぐは変な服を古着屋で買っては着るのに熱心だった。「人と違う」ことがいいことだと思っていた。自分は好きな服を着ている!と思っていたし、街中で服飾の専門学校の子?などと聞かれる時が1番嬉しかった。

ただ舞台に行きはじめて、ずっと心に引っかかりがあった。舞台を観に行くと、街中を歩くのと同じに色んな服を着ている人がいる。観に行く舞台の都合上圧倒的に女の子が多いけど。シックな人清楚な人、あまり頓着しない人…そんな中で一際目を引くのが髪にリボンを編み込みにして白やピンク、黒などのヒラヒラの服を着た厚底靴の女の子達である。

今でこそそういう女の子が「量産型」と呼ばれる事を知っているが、舞台に行きはじめた頃は結構衝撃だった。なんやアレ?!というような感じ。非日常な劇場の中でもかなり非日常で浮いている(とわたしは感じる)。夢の国からやってきたみたいな彼女達に強烈に憧れた。めっちゃかわいい…。服もそうだがそういうあり方がかわいいと思った。

量産型の服を着る動機はどうあれたくさんの人が集まる場所で彼女達は自分の中で最強のかわいい自分になる、なれることが羨ましい。

わたしは何度も言うように所謂俳優のオタクには属さない人間だと思っている。ただ、ある俳優が「好きな服を着たらいい」とイベントで言っているのを配信で見たとき、ハッピートンチキイベントだったにも関わらずメチャクチャ泣いてしまった。好きな…服を…そうか……と思った。彼自身が好きな服を着て、好きなお化粧をしているしそれを周りが受け入れているさまが美しくてそういう風になりたいなと思った。

服や化粧に対して、自分の本当に好きなものを身につけるということは結構難しいと感じる。それはお金だったり人からの目線だったり、TPOだったりする。

ただ、今の自分の格好が自分史上1番!と言える自分でいたいなあと思う。最近は。

現場でフリフリの服着てても許してください。