雑記

所謂コメディものの舞台とかお笑いの中でもコントみたいな役者が何かを演じて笑いをとるスタイルの笑いって、ズレやシュールさみたいな事が肝だと思うのです。それは物語の役同士のズレであったり客と物語のズレであったりするわけですが、とりわけ作りやすいのが社会の枠組みとそれから外れた概念とのズレかなと考えています。「いや普通はそんなことせんやん!」という笑いです。作りやすいけど、それは同時に作り手側と観客側が社会やその枠組みに対してどのような認識を持っているか、物語と語られる場を通して明瞭に(演劇とかはその場でマジで如実に)炙り出します。門地や見た目、性別といった個々人に付随する目に見える特徴をネタにする作品が未だに世の中には溢れ、それを好きな層が一定数存在し続けるのはそれから生まれるズレがすごく分かりやすいものだからだと思います。最近そうした笑いってかなりとりだたされる場が多いように思い、私も何となく考えてみたんですが、個人的には倫理観がどうちゃらとかいうよりシンプルにあからさますぎて笑えんな、わざわざ人から金と時間取ってフィクションを提供するにあたってそんな短絡的でお粗末な笑いしか提供出来ねえという意味であんまり好きくないって感じです。自分自身生きてる上で差別的な思想が内在しておりその全てを意識して生きることを半ば諦めておるので、それに対して(特にそうした題材を作品に落とし込む事に対して)他人にどうこう言う気にはなれないって感じです。後私は差別的な内容や倫理観を揺さぶるような題材でも巧みに作られたものには笑わされてしまいます。申し訳ねえ。

じゃあどういう笑いが好きやねんっていう話ですが、私は進撃の巨人とかデスノートみたいな話の笑いが好きです。

どゆこと?となるかもなのですが、デスノートと同じ作者の作品でバクマン。というのがあり、バクマン。の一節に「シリアスな笑い」という概念が出てきます。私はその「シリアスな笑い」というのが好きです。シリアスな笑いってどないなもんよ〜!ていうのは漫画を読んでいただくとして(販促)、個人的な笑いの肝であるズレがキャラクターのテンションと読んでる自分のテンションの間にあるっていう笑いが好きです。進撃もデスノートも人の生き死にを扱い、かつ物語の構造的に頭脳戦っぽい展開になる事が多い、かなりシリアスな作品だと思います。シリアスな状況下で皆が必死になる、別に何もおかしいことではない。ただ、私の住む世界は巨人にいつ食べられるか分からんわけでも、死神のノートに名前を書かれて死ぬリスクがあるわけでもなく(今のところ)、そうじゃなくてもキャラクター達が過酷な状況下でそれぞれ視野狭窄になって冷静な私からするととんちんかんな事をしとるというズレを笑えるのって幸せなことなんかもなと思ったりするわけです。

そんなこんなで、今回話したいのは10/7に浅草に観に行った舞台の事です!前置き長くなりました。テニミュから薄っすら応援している人が出ていたので観るか!というノリで行きました。千秋楽を観に行ったこともあり、先に観た人達の感想が様々で、行く前から不安半分怖いもの見たさ半分って感じでした。詳しい内容は前のブログに書いたので良かったら読んでみてください。

観終わった後、一緒に観に行ってくれた人と感想を言い合って思ったのは「あの作品はコメディじゃねえな」という事です。過激な下ネタや容姿を皮肉ったような演出、客席は人と人が密着する程近くて狭く(千秋楽だけの演出らしい)終始不思議な空気感が舞台に漂っておりました。なんだかやってる事は確かに面白い風?コメディ?みたいな感じなんですが、すげえ悲しい気持ちになって劇場は(物理的に)あったかいのに心がどんどん冷えていくっていうか…、どんどん冷静になってる自分がいて、なんだ?出てくるキャラクター達の分かって欲しいという気持ちとどうせ分かってもらえんのでしょという気持ちと自分の分からなさの実感とで、アーンとなってしまいました。言葉にするの難しいね。

メタ的な話をするのが好きなので、あの作品に好きな俳優が出てた意味みたいな事をぼんやり思っているのですが、もし仮に集客以外の理由があるんだったら作品が外に開かれるために投じられた石みたいな役割だったんじゃないかなと思います。私は最初、ああいう作品をテニミュとかを好きな若い、自己に対して揺らぎある世代の女の子(それがそもそも偏見かも)に観せる意味を考えろよ〜って思ってたんですけど、むしろそういう層の子に観せる意図みたいなのがあったのか?などと今は思います。観た人なら分かるかもですけど、俳優好きな側の人間は試されたというか、なかなかキツい人はキツかったように感じました。ただ、駆け出しで若い女の子のファンが付いてる感じのイケメンの若手って自分が小劇場系の舞台演出家だったらめっちゃ使いづらいなって思うので、あんな風な使い方をした劇団もそれを受け入れた俳優も凄いなあって思いました。主観ですが、なんか俳優自身が楽しそうだったし途中から俳優目当てで観に行ったの忘れてしまって姿を追うの忘れてました。

悲劇と喜劇の両義性をかなり感じたというか、小劇場独特の大声を張り上げて笑いとる雰囲気?、あれを敢えてやってんなって思ったの初めてだったので上手く言えないけどスゲエでした。いや、結局あんまり上手く言えないんですよね…。笑いをとるため服を脱ぎ叫びまくる痛々しい程の悲痛な演出とそれに笑う観衆とをメタ的に見たときの何とも言えん気持ちとか、言いだすとキリがないですけど色んなものが入れ子になった気持ちで、時間経てば経つほど良かったような気がしていますがどうなんでしょうか?幻?

タブーをやりまくる事に意味があり、お話や表層の演出に実は大した意味がないというオチだと大変好みだなと思いました。ガワ自体は別にだったので…。

なんの話したかったかよく分からんくなりましたけど、悲しくって悲しくってもう笑うしかないみたいな事がわたしは好きですし、コメディの原風景ってそういう場所にあると思うのでそういったことを再考するいい機会になりました。フィクションでも現実でも人を泣かせるより笑わせる方が圧倒的に難しいと思います。